ルマン ブガッティサーキット

2008.08.08

初期の頃のNSX Pressで紹介されたスイスのオーナーたち。この頃のNSX Pressでは、海外にも多くのNSXの熱烈なファンがいることを連載していました。おぼろげながら20周年の2010年にNSX誕生の地の日本で世界中のNSXを愛する者が集い、一緒にお祝いできらどんなに素晴らしいだろうと思っていました。既にアメリカのオーナーたちとはコンタクトできていましたが、ヨーロッパのオーナーとのコンタクトはほとんどありませんでした。本当なら、前の年に上原さんとともに 訪問して、20周年のお祝いに日本に来ませんか?とのお誘いをする予定が 中止になったので、思い立ったのです。クラブからは辻さん、小林勝さんと ご一緒しました。

岡本さんはアメリカのNSXPOの参加経験があるのでおわかりと思いますが、 同じ感覚の「一参加者」の立場で行きました。ただ、一年前にお礼に行く予定がキャンセルとなり、ヨーロッパ行きが果たせなかった上原さんに 「ご一緒しませんか?」とお誘いしたことと、取材班が同行したところは違いますが。アメリカのメンバーにも同様に「行きませんか?」と誘ったことも事実です。

吉村さんのレポートでは「聞いていなかった」「突然来ていたので驚いた」などと書かれていますが、あれは間違いです。過去のメールがありますが、少なくともズッカー会長には伝えていて、認識されていました。

会場の用意ができて、室内に。パーティーの半ば頃に会場で、おみやげとして持参した、額入りの「赤のシルクスクリーン」(ズッカー会長の車は赤です)を差し上げました。私がお渡ししたので私は写真を持っていませんが、同行の誰かが持っているはずです。正直、バッジを貰った時、絵を持って来ていて良かったと思いました。上原さんは、NSXのコンロッドとサイドシルのオブジェを用意されていましたが、あまりに重いので別送することとなりました。写真だけを目録として渡されました。

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1996年ルマン24時間レース観戦記

厳しい再挑戦、さすがのポルシェ表彰台独占

NSX初参戦の年から3年連続ともなると会社からも、カミさんからも呆れられましたが、今年も行ってきましたルマン。ただし、今年はさすがに決勝のみの観戦でした。出発当日にインドネシアのガルーダ航空機が墜落し、福岡空港が閉鎖になってしまいました。急遽、長崎空港から羽田へ、そして成田へとあわただしい出発でした。

結論から言ってしまいますが、「さすがポルシェ」今年のレースはこのひと言と私は思っています。私の今年の注目点は次の4つでした。1.ポルシェの意地、2.関谷は如何に?、3.今年のNSXは何を狙うのか?、4.本当にマクラーレンは速いのか?去年はマクラーレンの圧倒的な強さでポルシェの影が薄かったのですが、よくもこの短期間にあのGT1を作り上げたものだと感心してしまいました。出来上がって3カ月でルマンだったとか。予想でも「速い、いや壊れる」と両論でした。ヨーストの2台も速かったですね。優勝車7番のヨーストはスタートからゴールまでずっとトップだったんですね。これはスゴイ。GT1は25号車、26号車がランデブーでゴールインだったのですが、何か優勝したみたいで印象的でした。終わってみれば、ポールには3つのドイツ国旗がひるがえっているのです。すごいっ。それにひきかえフェラーリはダメですねぇ。全滅。WSCの333SPは音は最高、予選でも速かったし期待 していたのですが・・・。F40ももう旧式なんでしょうか。来年からはF50かな?マクラーレンはやはりドライでは足回りへの負担が大きく、ミッションとかにもトラブルが多かったようですね。でも、完走率は大したもんです。あの音にはシビレル。いい車ですね。デザインも好きです。以下、決勝レースを中心に振り返ります。

決勝スタート前に様々なイベントがコース上であるのですが、その中で「Lamborghini Diabloのワンメーク・レース」がありました。フランス語はよくわからないのですが、コースを9周もしくは45分の走行で競うというものでした。出走は25台くらいでした。土曜日の暗くなってから、ピット裏を歩いていたらピケが来ましたね。監督に呼ばれてとかで、サインとかもらえる時間はなかったのですが。それと金曜日の夕方、これもピット裏の通路にゴードン・マーレイがひとりでボーッと立ってました。本人だとは信じられないような人がウジャウジャいます。見つけた私自身は立ちすくんでしまうばかりでした。

ACOのバスでインディアナポリスとミュルサンヌへ行けるというので乗りました。どちらも内側からの観戦です。ミュルサンヌでは1時間あったのでゴルフ場を通ってユノディエールの方へ行ってみました。100mのブレーキング・ポイント表示があるあたりです。いやぁ、すごいスピードです。コワイです。アップダウンになっていて車が近づいてくると、音は聞こえるのですが姿は見えず、見えたかと思うとものすごい風をきる音を発して過ぎ去り、右へ消えていくのです。オフィシャルに見つかりました。ここは入ってダメなのは知ってました。ハイ。

タイムを正確に見たわけではないのですが、昨年雨だったとはいえ、スピードは確実に上がっているのではと思います。何台かのラップを計ってみたら、4分を切ってる車が何台もありました。ちなみにマツダは4分5秒位、NSXは4分25秒位だったと記憶しています。優勝車のラップをラフに計算すると平均で4分ジャストで走っているんですね。何か外国車はドンドン速くなっていくのに、日本車は耐久性のアップばかりで速くならないような気がしているんですが・・。

ゴール後はオフィシャルがピット寄りに並び、車をトリビューン側に走らせようとしたのですが、マクラーレンの何台かやマツダ、MC8Rなどは感激のあまりか、制止を振り切ってピット側を走行し、チームと喜びを共にしているようでした。こういう光景はたまらなく好きですねぇ。特にこの2台の日本車はレース中のトラブルで大手術をした上での完走ですから喜びもひとしおでしょう。NSXは昨年のクラス優勝、チーム国光からの出場のみだったわけですが、やはり随分きびしいですね。ある冊子の予想では、星1つでした。解説には「速くないが堅実」とか「デボラよりマシ」なんて表現がありました。新車なので熟成が足りないとも言えますが、果たして来年出てくるかは何とも言えませんね。でも、一度優勝しているし、今年もGT1のGTRに肉迫していたし、善しとしましょうか。でも、今年の色はピンときませんね。欧州車にどうしても目がいきますが、アメリカ車のバイパーも3台が完走す るなど活躍したのではないでしょうか。また、去年走れなかったリスターも日本で馴染みのジェフ・リースやアンソニー・リードなどのドライブで見事総合19位で完走したのも印象に残ります。決勝スタート前日の金曜日の夜、食事をしたイタリアンレストランにリースと、ニーデルは奥さんと3カ月くらいの子供を連れて来てました。ルマンならではの光景ですね。

帰国してからやってみたんですが、1時間ごとの順位を経過表に書き込んでみると経緯がよくわかりますね。マツダは14時間経過頃の、MC8Rは7時間経過頃のトラブルが致命的だったんですね。GTRとNSXは順調に順位をあげていますが、これは他車がリタイアする中、安定した走りを続けたためとも見れます。時々NSXのラップタイムを計っていたんですが、いつ計っても4分25秒位なんです。このことも大事なんでしょうけど、これじゃあ、いつまで経っても勝てませんよ。私はこれまで、1周4分というのが基準でした。基準というよりも、4分ジャストだと速いと判断していました。ところが、もう今年は決勝中に4分をきる車は何台もあるんです。明らかに速くなっていると感じるんです。最速ラップはフェラーリ333SPの3分46秒958ということです。優勝車のヨーストは24時間で354周走っています。計算すると平均で4分位で走っています。実際にはピット作業などがありますから、もっと 速いんですね。友人とレースを見ながら、「NSXとはラップで30秒違うから、8周で周回遅れになる。320周なら40周遅れか。」クラスは違うにしても、こんな話もしていました。すごい差ですね。GTカーで日本車が優勝なんてできるんでしょうか。日本のメーカーは、ルマン、ルマンというけれど、このレースで勝つことにどのくらいのウエイトをおいているんでしょうか?完走することも意義あることでしょうけど、いつまでも完走して満足しているだけでいいんでしょうかねぇ。すみません。3年続けて見に行ってしまいました。贔屓の車を応援するんですけど、ゴールしたら、もうそんなことはどうでもよくて、走りきったすべての車、ドライバー、チームスタッフ、またオフィシャル全員に拍手なんです。

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