NSX フィエスタ 2000

2000.11.18-19 ツインリンクもてぎ

NSX誕生10周年を迎える今年のフィエスタは11月18,19日の両日「ツインリンクもてぎ」で開催されました。はっきりとした参加台数はわかりませんか、1日参加も含めた延べ台数・参加人数では、恐らく過去最高だったと思います。クラブ・オブ・ジャパンからも、北は北海道から、南は九州からと、全国各地から多数のクラブ員が参加し、今年の記念すべきイベントを楽しみました。初参加のクラブ員の口から、「こんなに楽しめるイベントとは思わなかった。来年も必ず来ます。」との感想も聞かれ、その充実ぶりが伺えると思います。

正式日程の前日17日には、NSX誕生の地、高根沢の工場見学がありました。残念ながらメインのラインではS2000とインサイトが流れていましたが、隣の建物ではひとつひとつ大切に組み立て上げられていくNSXを見ることができました。記念すべき年に、製造現場を見ることのできたオーナーは満足だったと思います。

今年のフィエスタは何と言っても天候に恵まれたことと、1台のクラッシュも無かったことをまず報告しておきたいと思います。もてぎで初めての開催だった前回(1998年)は台風直撃の下でのフィエスタでした。それに比べると今年はこれ以上の天気は望めないほどでした。各自思う存分自分のメニューをこなし、結果として無事故で終えることができたことは、これまでのオーナーのスキルアップとあいまって、お祝いの年に華を添えることであり、大変喜ばしく思いました。

朝からの深い霧もすっかり無くなり快晴。往年の2台のF1マシンがホンダミュージックを高らかにオープニング。続いて、オーパルコースを埋め尽くすNSX、そして、ひとつの輪に。毎年指導にあたるプロドライバーも今年は人数も多く、おなじみのメンバーに加え、中島悟や土屋圭市など普段なかなか近くで顔を見ることのできないドライバーも参加、記念写真にサインにとオーナーも忙しく走り回りました。オーナーからの要望に対し、すべてのプロドライバーがいつも協力的であることも特筆すべきでしょう。和やかな中にも、何か期待が高まるセレモニーでした。昼食後、いよいよそれぞれの走行メニューに入ります。

走行とともにフィエスタのもうひとつの楽しみは、夜のパーティーです。1年ぶりの再会を喜び合うのはもちろん、今年は記念すべき年、みんなで祝おうという思いがあったはずです。誕生記念といえば、ケーキ。NSXの文字をあしらった特製・特大のケーキが壇上に運ばれました。ろうそくの灯を吹き消すのは、清水和夫講師とホンダの販売部長(だったかな?)。フラッシュの光が飛び交い、拍手の渦。ゲーム大会では、数字の10に因んだオーナーがプレゼンターのプロドライバーから賞品をゲット。会場は例年にない多くの参加者と熱気で溢れかえり、通路を挟んだ反対側の会場も利用していました。個人的には食事の量が少し不足気味だったように思います。パーティー後は、ラウンジで二次会。それぞれのテーブルでNSX談義に華が咲くのですが、もてぎでは毎年、ホテルツインリンクの収容能力の限界から、他のホテルに宿泊するオーナーもいるため、ゆっくりと話を楽しむことができず、残念です。

日程2日目も晴れ。プロドライバーやホンダ関係者とテーブルを囲んで朝食。同乗走行、体験走行、サイドバイサイド、試乗、コレクションホール見学、ファンファンラボのP3ロボットなどメニューが多く、すべてをこなすのは無理。パドックのメインテント内ではトークショー、ピットにはホワイトボディーがおかれていたり、GTマシンや無限カーなども。

2日目の最大の目玉はGTカーの模擬レースと思っていたオーナーも多かったのではないでしょうか?1995年にルマンGT2クラス優勝したマシン(ホイールは違ってました)のほか、RAYBRIG、Mobil1、AUTOBACSのGTカーを加えての模擬レース。途中ではドライバーチェンジがあったりで、なかなか楽しい企画だったと思います。

最後はロードコースのパレードですが、これだけの台数になると、全車が走り終えるのに随分時間がかかります。パレートを終えたら解散ですが、なかなかパドックから立ち去りがたく、プロドライバーや他のオーナーと話し込む光景もよく目にしました。来年、鈴鹿での再会を約束して、もてぎをあとにしました。

今回、クラブ・オブ・ジャパンのメンバーを中心に、オーナーの協力を得て、アメリカから3名、オランダから2名のオーナーが参加できました。この場を借りて、お礼申し上げます。今年で3回目となった海外からの参加ですが、今年は10歳の誕生記念を日・米・欧のオーナーが一堂に会して祝ったという画期的な年だったと思います。彼らの口からは「とにかく、素晴らしい」の連発、特にプロのドライブによる同乗が最も印象的だったようです。また、NSXは少なかったのですが、工場見学をしたことは自慢したいようです。アメリカでもNSXPOというイベントが年に1度行われていますが、来年は10月開催予定で、フィエスタと日程が重なりそうなことがわかると、彼らは「来年は、鈴鹿でのフィエスタに来る」と口々に言いました。彼らの詳細のコメントは英語版のサイトに公開していますので、ご覧ください。英語ですが・・・。

上原さんを含め、ホンダの関係者は事あるたびに「最低10年は造り続ける」と言ってこられました。そして、やっとその10年を迎えました。このことを裏返して考えると、「10年経ったから、やめる」と言うのではないかとの危惧がありました。しかし、造り続けるとの表明があったと思います。この後は、20周年、30周年・・・のお祝いをしたいと思います。

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1994年ルマン24時間レース観戦記

初めての挑戦で、3台ともチェッカーを受ける

初めてのルマン観戦、ルマン市内のホテルに滞在できるというのでツアーに参加した。それは何と言っても、特徴とも言えるジャコバン広場で行われる有名な公開車検を見たいためだった。車検は月曜日から始まっているが、メインは火曜日だ。川沿いにあるホテルを出て橋を渡ると、程なく車検場に到着。有名なセント・ジュリアン教会のすぐ横だ。今日の車検も始まっていた。検査員が実際に車検を行っている柵の向こう側には入れない。しかし、参加チームはトランポーターから降ろした自分たちの車を車検ブースまで手で押して行く。自分たちの番が来るまで柵の外で待っている。それも目の前、手で触れるくらいのところに。日本では信じられないが、近くの小学校からと思われる子供たちが先生に引率されて遠足だろうか、見学に来ている。冬のクリスマスと夏のルマン24時間レースはこの付近の住民にとっては重要な年間行事だと聞いた。子供たちは教会の前に用意された、おもちゃのレースカーに乗って興じている。

予選は水曜日と木曜日の夕方と夜の2回、計4回行われる。最初はどうしてそんなに遅い時間に予選を行うのかわからなかったが、サーキットに行ってようやくわかった。ルマンは夏至に行われるが、この時期の夜は明るい。日没は遅く、本当に暗くなるのは10時を過ぎてからというほど、信じられないくらい遅くなるまで暗くならないのだ。1回目の予選が始まる7時では、まだ太陽は高いところにありサーキットじゅうを照らす。日中の走行をイメージしてしまうくらいだ。一方、10時から始まる2回目は終わるのが0時か0時30分であり、真っ暗だ。24時間走り続けるレースなので、暗い夜に予選をする理由がここにあることを理解した。私は1回目の予選は第一シケインの内側で見ていた。音は遠くでしているが車は見えない。と思ったら轟音と共に姿を現し、急減速。静かになる。シケインを過ぎたら、物凄いトラクションで加速して消えていった。何台も何周も続く。ある時シケインを物凄いスピードで車が飛び出した時はさすがにビックリした。

予選日と言っても昼間は何も行事がないので、ルマン中心地あたりをブラブラしていた。今年の公式プログラムの表紙を飾ったのはNSXだ。ポスターにもNSX、市内の至るところに貼られている。驚いたのは、モンパルナス駅の構内に巨大なポスターが何枚も吊られているのを見た時だ。また、ルマン駅の改札前には赤の市販車のNSXが展示されていた。現地の係員がリーフレットを配り、説明していた。嬉しい。美しいレディとツーショット。

2日間の予選が終わると金曜日、この日は何もない。市内では夕刻にドライバー達によるパレードがあるが、メカニック達の姿はない。そう、明日からレースが始まるのでみんな最終の準備をしているのだ。チームごとにオープンのクラシックカーに乗って街をパレードする。若い女性が名前の書かれたボードにを掲げドライバーを紹介している。多くの観客は贔屓の選手に声援を送る。特に地元のドライバーへはもの凄い。パリから戻った時、パレードはほとんど終わりに近づいていたが、街はドライバー、サポーター達で深夜まで埋め尽くされていた。そしていよいよ週末を迎える。ルマンウィークと呼ばれる月曜日の車検に始まった一連の行事も明日スタートし日曜日にゴールを迎えるレースで締めくくることになる。遂にその時が来たと私でさえ感じた。しかし、スタートは4時、遅めの朝食を取ったとしても、まだ6時間もある。コース上では様々なアトラクションやセレモニーがあり時が過ぎていく。

内輪の話

ビデオカメラを落としてしまった

到着した翌日の6月14日、車検2日目だった。レースカーに最も近づける絶好の場、写真もビデオもいっぱい撮ろうと思っていた。朝食後にホテルを出た。ジャコバン広場までは歩いて10分。ツアーメンバーの何人かと一緒に川沿いを歩いていた。「この景色、まさにフランス、って感じだなぁ」そんなことを話しながら、お互いに写真を撮ったり。その時、ビデオカメラを落としてしまった。「アッ」「大丈夫?」「平気、平気。草の上だったから」と言ってみたものの、、、 特に異常は感じられなかったが、、、

ビデオカメラに警告表示が

車検2日目は快晴、多くの人が詰めかけている。「トヨタとダウアーポルシェは撮った。よおし、次はNSXだ」と思ったその時、ビデオカメラのファインダー内のインジケーターに赤い点滅が。「何だろ?」これまでに見たことのない表示マーク。バッテリーはOK、テープもOK、意味がわからない。電源オフにして、再度オンにしても同じ現象が表れる。目の前には3台のNSXが。焦る。最悪の事態を想定して、写真を撮りまくる。そして、急いでホテルに戻り、取扱説明書をチェック。「ヘッドが汚れています。乾式クリーニングカセットで汚れを除去して下さい」フィルムもある、バッテリーもある、テープもある、余分に。しかし、さすがにクリーニングテープは持って来ていない。とにかく、明日からの予選を撮ることができない。部屋を飛び出し、クリーニングテープを求めて市中へ。幸いルマンは夜10時まで明るいのだ。

やはり現金は必要

クリーニングカセットを置いている店を見つけた。さすが日本製品、田舎のルマンにもあるのが素晴らしい。手にしてレジへ。トラベラーズチェックを差し出したが、店員はわからない表情。実はルマン市内の何か所かで経験していた。あるACOの女性は「3年ここで働いているけど、見たことないわね、初めて見たわ 」と。彼女はどこに電話して、結局はOKしてくれた。ルマンでは大きな店やデパート以外では、トラベラーズチェックやクレジットカードは使えないと思った方がいい。もちろん、サーキット内の食べ物屋は現金のみ。

常にミネラルウォーターを

シャルル・ドゴール空港到着後、バスでルマンへの移動するが、途中で休憩。ツアーは大体10人だが、途中から別のグループが乗車、合流。この人たちのほとんどはどうもリピーターのようだ。ある人が、「今回のホテルの部屋に水は用意されていないようだ。ここで買っておいた方がいいよ」と。でも、どうしてか私は買わなかった。ボーっとしていたのだろう。案の定、ホテルに着いたら、冷蔵庫も自動販売機もない。到着したその夜は水無しで過ごした。翌日すぐにスーパーマーケットへ行き、500mlのボトルを6本買った。結局、その日にすべて飲み干したのだ。この時期、特に今年は連日の好天続き、常にバッグにボトルを入れ持ち歩いた。別の国から来たという観戦者は1リットルのボトルを手にしていた。どうも、これが普通のようだ。とにかく、乾燥している。出かける時は忘れずに。

財布を無くしたぁ

決勝スタートの前日6月17日は何もない日だ。ルマンに滞在しているので、パリに行くには絶好だと以前から思っていた。別の参加者からガイドブックを借りて、TGVでパリへ。モンパルナス、凱旋門、そしてモンマルトルへ。おみやげに絵でも、といろいろ見ていた。7時に。帰りはモンパルナスを7:55に出発する列車を予約していたので、値引きの交渉をしている余裕がなく、ある絵を買い駅に向かった。ルマン行の列車に乗って一段落、再びガイドブックで先ほど訪れたモンマルトルのページを見ていた。「スリに注意」かぁ~。ふと、ズボンのポケットに手をいれた、無い。財布が無い。びっくりしたが列車の中では冷静を装う。財布の中はわずかの現金とトラベラーズチェック。ルマンに着いて1時間ほどして、発行会社に電話した。被害はなさそうで何より。すべての現金を無くしたわけではなく、その後のトラブルもなかったが、なぜか腹立たしく思った。

あの美女は何と言ったのだろう

練習走行の間は、度々リパブリック広場へ行った。ある午後、昼食のために歩いていると4人の若い女性が近づいて来た。”Avez vous…………….” 何かしたいようだが、それが何かがわからない。火の点いていないタバコを口にしていた。こちらでは多くの女性がタバコを吸っているが、なぜかカッコいい。そうか、火をかしてくれと言っているんだ、と思いバッグからライターを取り出す。その時また、彼女たちは何か言っている、もちろんフランス語。「このオジさん、年のわりにカッコいいじゃん」と言ったのか「日本のオッサンはダサいね」なのか。火を点けると、”Merci” と言って混み合う雑踏に消えて行った。彼女たちは何と言ったのか、この違いは大きいぞ。言いたい放題にしないため、フランス語を勉強するぞ。

どうも知らない男が寝ていたみたい

私が滞在したルマンのホテルは、レース観戦にはとても便利な場所にある。私はひとりなのでツインベッドルールをひとりで使っていた。何だか得した気分。3日目から同室者が滞在すると言われた。ACOで働く人たちは毎晩帰りが遅い。後で聞いた話だが、彼はホテルに帰ってからレストランでレポートを書いているそうだ。だから、私が朝起きた時、彼はまだぐっすり寝ていることが多いのだ。私は休暇でルマンに来ているが、彼らは仕事で滞在している。そんな人たちを邪魔してはいけないと思った。ある朝、彼も起きていたのだが、私はひとりで朝食に。食べ終えて部屋に戻ったら、彼がいない。朝食かなあ?でも、いなかったよなぁ。次の朝に起きた時も、彼はいつものように眠り続けている。ひとりで先に朝食に行ったら、彼も続いてやってきた。「決勝レースだけを見る人のため、一晩だけ部屋を変わったんだ。夜中にスーツケースを移動させてうるさくしてゴメン」と言った。しかし、その人はカメラマンだった。別の人だったんだ。メガネをかけてなくてよく見えなかったけど、あの人は誰?

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