「すべてはNSXから始まった」

2005.鈴鹿サーキット

NSX Fiesta 2005開催にあたり、募集のあったエピソード「すべてはNSXからはじまった」は開催期間中、VIPスイートに掲示されました。追加も含め、クラブ員(含、家族)による投稿文を掲載します。

「ロング・ツーリングへの誘い(いざない)」

スポーツカーの醍醐味・・それはもちろん、車の性能と己のスキルを最大限に昇華させるスポーツ・ドライビングだろう・・
しかし、NSXのような本物のスポーツカーで行くロング・ツーリングも捨てがたい魅力に満ちている・・
NSXを手に入れて10年(途中、自分の相棒もNA1~NA2に変わったが)夏の一時期・・北海道に渡る旅をNSXと続けている・・

仕事を終えたその足で(長期休暇の取りにくい理容業を営んでいるため)NSXに鞭を入れて、東京~深夜の東北道を、一路、青森県・八戸港へ・・
朝5時出港の室蘭行きフェリーに滑り込む・・
昼過ぎには、北海道に上陸・・
長距離走行の疲労もあるけれど、この車の性能を生かした高速クルージングの醍醐味を年に1度くらいは存分に味わいたい・・
夏のハイ・シーズンに独り旅を快く受け入れてくれるホテルなど皆無だけどそこは、北海道・・ライダーやバックパッカー相手の旅人宿が沢山あるので宿泊場所に苦労する事もない(宿泊料金も格安で)・・
またNSXで乗り付ければ一度で、記憶に残るのだろう・・
(NSXが名刺代わりに!?)
毎年、宿主や、旅慣れた常連ライダー達との旅談義にも花が咲く・・
(如何に仕事とは直接関係の無いところで人脈を広げられるかが、人生の深さでは?と。これは、自分の持論ですが・・)

おそらく、ただの移動手段としてなら、ドイツ製のセダンの方がスタビリティーも優れ、居住性も遥かに高いでしょう・・しかし、高性能でなおかつピュアな車ほど、良く言われる「時速60キロの官能」の度合いが高いのではないだろうか・・
多少の不便など苦にならない・・スポーツカーはやせ我慢!?でいいのだから(それを言ってしまうと、快適性と運動性能の融合を謳うホンダの技術者には大変、申しわけないが)

NSXの生産終了は、本当に本当に残念な事だけど・・
(スポーツカーに取って逆風の時代、それでも今までNSXを残してくれたホンダには心より敬意を表したい・・)

北海道の雄大な景色が時に、ル・マンのユノディエールと重なったり
高速ワインディングが、スパ・フランコルシャンのオールージュに変わったり
自分とNSXの旅は・・これからも、まだまだ続く。

そして次のNSXに乗る次の世代のオーナー達もぜひ・・この「ロング・ツーリングへの誘い(いざない)」を堪能して欲しい・・

阿部 一幸(東京都)

「私のHonda車歴は、NSXからはじまった」

以前から、私はHondaというメーカーが好きだった(何よりも“本田宗一郎”の人となり、先見の明、生きざま、考え方およびHondaの社風、 歴代の社長など)し、非常に興味を持っていた。しかし、私が免許を取った昭和50年代は、まだHondaの四輪車はシビック、アコードなど僅かであり、 まだまだ二輪車メーカーで、しかもちょっと尖った企業(いい意味で、他の企業の真似をしない、独創性がある)というイメージだった。

その様なわけで、マイカー選びの際には、まだ取扱車種が少なく、四輪後発メーカーであるHonda車は候補にはならなかった。 NSXが発表になるまでの十数年間は、私は無難にT車を乗り継いでいた。

1990年、HondaがNSXというスーパースポーツカーを出すと色々なメディアからの情報を見聞きしたとき、 私はいても立っても居られなくなった(T社のクーペタイプのスポーティーな車を何台も乗り継いではきたが、 T社の社風からか、スポーツカーと言えるものではなかったので欲求不満だった)。

NSX発売後、早速ディーラーへ。実車を目にし、「何て格好いいんだ。何としても欲しい!」と思い、 それから頭の中はNSXのことばかり。でも、900万近くもする車を買うって言ったら、家族が何て言うかな・・・。 思い切って家族に話してみた。「お父さんは車が趣味なんだからいいんじゃない。酒もタバコもやらないんだから。」の有り難い言葉。 直ぐに注文し、納車まで2?3年と言われていたが、翌1991年に納車。当時2歳と3歳の息子二人を助手席に乗せ(もう時効でしょうから)、 週末は決まって遠出のドライブ。近場の用事も息子二人を乗せ、NSXで。乗れば乗るほど良さが分かり、 益々NSXとHondaに惚れ込んで(私だけでなく息子達も)いった。当然のように我が家の他の車も、買い換え時には次々とT車からHonda車に 変わっていった。

NSXは運転する楽しさや喜びだけでなく、友人の輪も広げてくれた。車で繋がった友達。学生時代や仕事での友達付き合いとは違い、 利害関係もなく、純粋に趣味の上での友達は、NSXに乗る喜びとともに日頃の疲れを癒す、素晴らしいものだ。今後も末永く付き合っていきたい。

息子達も高校生になり、まもなく免許を取得出来る年齢となった。「免許を取ったら、お父さんのインテちょうだいね!」 「運転が上手くなったらNSX-R乗っていい?」と、事あるごとに私に言っている。息子達は、父が乗っているHonda車、メーカーとしてのHondaが 一番良いと思っている。Honda大好き、完全な“NSX信者”である。息子は将来、NSXオーナー(父のお下がりではなく)になることが夢だそうだ。 Hondaさん、このような未来のオーナーの為にも、素晴らしい後継車を是非ともお願いしたい。期待している。

NSXオーナーで良かったと改めて思う。 「NSX」、私から息子、(気が早いが)孫へと乗り継いでいって貰い たい、類い希なる名車である。

父:菊池 米彦(茨城県)

僕は、世界の自動車メーカーの中で、Hondaが一番好きだ。車のなかで一番好きなNSXがあるからだ。 NSXは、僕の生まれた年に出た車だからとても印象深い。まだ小さいころに、父はよくNSXでドライブに連れて行ってくれた。 後ろから聞こえるエンジン音が、どの車にもないすごくいい音だった。色は赤で、歩いている人や、車に乗っている人たちがチラチラ見るので、 何だかとても嬉しかった。最初のNSXはオートマだったが、乗り心地がとても良かった。

2002年に新型NSXが発表され、父はNSXから新型NSX-Rに 乗り換えた。僕は最初、NSXの方が格好良かったのにと思っていたが、新型NSX-Rを見ていると、NSXにはない格好良さがあることに 段々と気がついてきた。今では、以前のNSXより今のNSXのほうが格好いいと思っている。また、NSX-RでNSX fiestaに行き、とても感動した。

NSX生産終了を聞き、とてもがっかりしたが、HondaならNSXに劣らない、格好良く、速いスポーツカーを作ってくれると思っている。 次の後継車も、是非、「NSX」の名で出してもらいたい。

免許を取ったら、まずNSXに乗りたい。

息子:菊池 友也(茨城県)

「NSXは何を教えてくれるか」

私はS600という当時にしては突拍子も無い精巧なエンジンを搭載した2シーターに憧れ、運転免許を取る前に中古車を買ってしまった経緯がある。それ以来、熱烈なホンダファンであり色々な自動車を乗れば乗るほどNSXの良さを感じさせらずにはいられないのである。現在に至るまで4台のNSXを乗り継ぎ、現在はサーキット用の一台になってしまったけれど、財布が許せば二台目のタイプ違いを欲しいと思う。僅かばかりだが品の良いセクシーな車が有るので乗っては見たいが、なかなか中途半端な気持ちで手が出せるものではない。車という物はステイタスで乗る者も居るが、NSXに関しては本当の技術思考で乗る仲間が多く、余計な隔たりが少ないのではないかと思う。要するにどんな職業、地位だろうが、「良いものは良い」と解かりあえる車ではないのか?

故障が少なく信頼性が高いこれだけのパフォーマンスを持った車は世間には少ないだろう乗る度にエンジン音が心地良いし、ロードホールディングも素晴しい。エアコン付きだったら夏場に限らず何処に行くのにも快適高速移動が可能だ。日本の道路事情は先進国としては余り良いとは言えないが、それでもちょっとアクセルを全開にすればタコメーターにスピードがすぐ付いて来て気分もスカッとする。そのままサーキットに乗り込んでも充分ドライバーを満足させてくれ、がっかりさせる事はまず無いと思う。

ここのクラブに入る時の念願だった素晴らしい付き合いも増え、走る楽しみも覚え、満足出来るNSXライフを過ごさせてもらっている。これがNSXのお陰なんだと気付く瞬間だね....ありがとう!

佐野 誠(神奈川県)

「Smile and maybe tomorrow.」

…やがて、時は過ぎ、Honda NSXを愛車として購入するのが、2度目を数えることになった。

2000年初春、NSXの00モデルを新車で購入した。先に2度目と言ったのは、1997年の夏、はじめて購入したNSXが、自宅の駐車場から盗難の被害にあったからだ。この2台目を購入した2000年よりNSXの生産終了がHondaからアナウンスされた2005年7月までの5年間は、NSXをこよなく愛するたくさんの友人たちに恵まれた。

2000年に2台目のNSXが転勤先の名古屋で納車され、中部エリアを中心に活動している、「クラブ・NSX」に加入した。ボクはここで、NSXとドライバーとの接点や、ポリシーなどを習得することができた。クラブでは、深緑が美しい長野の高地や、静観な湖面が広がる琵琶湖、リアス式の海岸線に真っ赤な夕陽が沈む伊勢など、1泊2日のツーリングに参加させてもらい、おいしいお酒とNSXを肴に、深夜までクラブ員たちと“NSXライフ”について語り明かした。

2000年8月、東京へ転勤が決まった。ボクは、「NSXクラブ・オブ・ジャパン」に加入した。このクラブは全国に会員がいて、100名を超える、“NSX愛好家”が集いあう巨大組織だった。ここにはボクにも負けないほどNSXを、“偏愛する”クラブ員たちで溢れていた。ここでも、鈴鹿サーキットやツインリンクもてぎへのツーリング、走行イベント、箱根や東京アクアラインへのドライブなどに参加した。また、毎年2月に開催されるクラブの総会では、高橋国光さん、Honda栃木研究所でNSX開発責任者である上原 繁さん、塚本亮司さん、02モデルのデザインを手掛けた早内 稔さんという、豪華なゲストの貴重なトークセッションにも立ち会うことができた。ボクはこうして、たくさんのNSX談義と、NSXの積算距離を重ねていった。

…もちろん、心に残るひとり旅もした。

NSXが納車されてからこの5年間に、幸か不幸か、名古屋、東京、そして現在赴任している福岡と、勤務先を3か所も移り変わったこともあり、全国の美しい街並みや、どこまでも続く林道などをNSXと共に駆け抜けた。その中でも、一番思い出に残っているのは、富士山の麓で富士五湖のひとつ、本栖湖へのドライブである。この地を選んだのは、「NSX Press VOL.11の28ページ」に掲載されたロケ地であり、その写真を愛車で再現してみたかったからだ。

ある秋の晴れた週末、早朝4時に東京・世田谷の自宅を出発し、東名高速道路より東富士五湖道路を経由して、本栖湖を目指した。標高が高くなり、NSXの窓を開けると澄み切った空気が心地よかった。本栖湖に到着してからは、NSXでゆっくりと湖の外周をまわり、「NSX Press」に写っているNSXと同じ撮影ポイントを探した。しかし、本栖湖は河口湖ほど大きな湖ではなく、その撮影場所を見つけるのは、難しくなかった。早速、カメラと三脚を用意し、NSXの美しいボディラインが強調できるようにサイドのシルエットを逆光で起こして、本栖湖を背景に撮影した写真が、この1枚である。

さて、次の写真は、2000年にツインリンクもてぎで開催された、「NSX fiesta 2000」でNSXの誕生10周年を祝ったときに、NSXの開発責任者・上原 繁さんにサインを頂いた時の写真である。サインの依頼に瞬時に応じてくれた上原さんに改めて心から感謝したい。いつも感じているのだが、NSXの開発者の方々や、ボクたちオーナーとHondaを繋ぐディーラーの担当者やメカニック・スタッフなど、NSXに携わる方々はみんな、“笑顔”でボクたちに接してくれる。実はこうした応対は、普段から当たり前のことかもしれないが、Honda NSXを手掛ける方々は、特に“NSXを大切にしていきたい!”という、その“誇りと情熱”が、この“笑顔”を自然に生み出しているのだと思っている。

…そして、NSXがボクに与えてくれたもの。NSXオーナーが愛車に触れたり、NSX談義をしている時に、まるで子供のように無邪気で明るく、屈託のない笑顔をしていることがある。この笑顔こそ、HondaがNSXを通じてボクたちオーナーに与えてくれた“最高の宝物”だと思う。 

最後の写真、これはNSXタイプRを所有している、あるオーナーを撮影した時のものだ。ボクもNSXと接している時は、きっとこんな“笑顔”をしているのだろう…。

今日も、そして明日も、“笑顔”がいつまでも続けられるように、NSXと共に充実した時を重ねて、過ごしていきたいと思う。

外岡宏長(福岡県)

15年のなかの「嘘のような5年」

1998年、試験的に公開したクラブの英語版ホームページを見たアメリカのオーナーズクラブから「フィエスタに参加したい」とのメールが届いたのが始まりでした。初めのうちは冗談だろうと思っていたのですが、「彼らは本気だ」と気づくのに時間は要しませんでした。全米から参加の希望があるとのことでホンダの広報の方に相談。最終的にはホンダ50周年記念のひとつとして、記念すべきツインリンクもてぎでの最初のフィエスタに22名のゲストを招くこととなりました。あいにくの台風襲来でしたが、彼らが満足して帰国したのは言うまでもありません。

翌1999年、アメリカのフィエスタに相当するNSXPOがカリフォルニア州のラグナ・セカで5月に開催されるとのニュースを聞き、クラブ員を中心に5名のオーナーが参加しました。前年来日したメンバーとも再会し、具体的な形で交流が始まった年でもありました。また、オランダのガス・トスと知り合ったのもこの時でした。

その後毎年、フィエスタに参加希望する海外のオーナーを、クラブマンの協力を得て同伴者として受け入れてきました。当時のアメリカのクラブの会長、アレックス・ヴィジケラも2回参加しました。オランダのガス・トスは根っからのホンダファンで、2000年のもてぎに引き続き、2001年の鈴鹿にも弟のアレックスとともに参加しています。ところが翌2002年春に、カズ・トスから驚くべき内容のメールが届きました。「脳腫瘍が見つかった」。治療に専念していて、腫瘍の大きさも小さくなったとは言え予断を許さない状態でした。この年の夏、前年のフィエスタで彼と知り合った兵庫県のオーナーとともにオランダの自宅に彼を見舞いました。治療のため頭を剃った彼を痛ましく思ったのですが、彼自身は我々の来訪を喜んでくれ、お互いの友情を確認したのです。滞在中、彼の友人の協力であのニュルブルクリングを訪れ、彼のNSXで走行した時は、「遂にここまで来てしまった」と思いました。滞在中に別の友人は「クリスマスまではもたないだろう」と言っていたのですが、本人からは翌年春に「劇的に腫瘍が小さくなり、気分もいい」とメールが来ていました。しかし、猛暑がヨーロッパを襲った2003年の秋、ガスの友人から他界を知らせるメールを受け取ったのです。このニュースは全世界に流れました。We never forget Guus. Guus loved NSX.

富吉 啓文(神奈川県)

「輝く40代は、NSXがつれてきた」

正確には「黒澤治樹くんに出逢って、私の40代は輝きを増した!」です。いつも礼儀正しく、レーサーとしての仕事に対してはストイックに生きる彼の姿勢に感激して、私も何事にもチャレンジしてこようと思えるようになったのです。治樹くんに出逢って、それまでの「枠からはみださない」優等生から「ちょい不良中年」になった感じでしょうか。

子供の頃からそばかすに悩んでいた私にとって、ゴルフはたとえお客さまからの強い要望であっても「No!」を貫いてきましたが、治樹さんの「いつかいっしょにコースを回りましょう」のひと言で「Let’s Try!」に変わり、いまでは主人と毎月コースに出られるまでに成長しました(腕前はまだまだだし、シミはいまだに恐いけど)。

レース観戦も年に一度のF1は仕方ないけど、そのほかはやっぱり日焼けが恐くて「No!」でした。でも、治樹さんの走りを見たい一心で、昨年はシルバーストーンまで家族を引き連れて「追っかけ観戦」してきました。はじめての英国でしたが、すっかり魅せられて、今年はひとりでツアーに参加して、HONDAがパートナーに選ばれた「goodwoodフェスティバル」に行ってしまいました。

そして、なにもりも変わったのが「車が友だちになった!」ことです。6年前、わが家にNSXがはじめてやってきたことの私にとって、車はアッシーでした。必要最小限にしか運転していなかったので、もちろんAT車でした。ところが気がつけば、6MT車で「鈴鹿の南コースでスピンしてた!」わぁ! ただ、鈴鹿のホームストレートでのブレーキングテストは真剣に恐かった!でもあれで度胸がついた(?)し、自分の運転に自信もつきました。元さん、小島さんほかスタッフのみなさま、ありがとうございました。

いまでは、仕事で考えなければならないことがあると、Sのシートに収まって山道をドライブしています。背後から聞こえるエンジン音がなんともいい感じに思考を集中させてくれて、おかげで仕事も順調です(!!)。主人がNSX-Sを存分に走らせるために、オーナーズミーティングに参加したのが、ちょうど4年前のこと。そこで黒澤元治氏と出会ったことが、私と治樹くんとの出逢いの縁になったのですから、「すべてはNSXとの出逢いからはじまった」のでしょうね。治樹くんとの出逢いがなければ、(家に2台あっても)NSXのステアリングを握ることはなかったでしょうし、ひとりで英国に行くこともなかったでしょう。主人の喜ぶ顔が見たくて、日焼けを気にしながらも、ヘタな早朝ゴルフにつきあうことも永遠になかったでしょう。出逢ったすべての方々に、感謝。

三谷 清子(京都府)

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NSX フィエスタ 2005

鈴鹿サーキット

our dreams come true.

1990年9月13日、ここにいるHonda NSX・オーナーの誰もが、Hondaから掲げられた、このメッセージに心を躍らせた。

“憧れ・夢のHonda NSXをいつか、この手に…”時を追うごとに、その想いは高まっていった。

…やがて、その努力・願いが叶い、Honda NSXを購入する機会に恵まれた。私たちは、Honda NSXを所有できた初めての日のことを、今でも鮮明に覚えている。

“解放するスポーツ”。Hondaが解き放った、至高のスポーツカー、“NSX”本田技術研究所・栃木研究所の上原 繁さんを中心に、Honda NSXの開発・育成に携わったスタッフの全ての方々へ、私たちは、心から感謝し、敬意を表すると共に、この言葉を贈りたい。

Thank you for the dream.   ― 夢をありがとう ―

Honda NSXが繋げてくれた、オーナー同士の出会い、そして交友…。15年間に築き上げた、心の通う大切な仲間たちと共に、これからは、私たち・オーナーが、Honda NSXを大切に育てていきたい。

NSX CLUB of JAPAN, NSX OWNERS CLUB OF YOKOHAMA
会場に掲示されたオーナーからの熱いメッセージ、を転載

今年は7月に生産終了のニュースが流れたあとのフィエスタということで、オーナーの多くがNSXの後を継ぐ車に関心があったり、あるいはこのイベントそのものが最後になるのでは・・・など、愛車の中で様々な思いを胸に開催地である鈴鹿サーキットに向かったことだと思います。やはりこうしたオーナー達の思いとそれに応えようとするホンダ側の力の入れ方が感じられた二日間だったと、いま振り返っています。

開催の前日、今回海外から参加する4名のゲストを新しくできた中部国際空港(セントレア)で出迎え、その日は宿泊。当日朝、レンタカーに彼らを乗せ伊勢湾岸道を通り鈴鹿を目指します。途中近づくにつれて追い越していくNSXの台数が増えていく、気分が高まる瞬間です。

今年はこれまでとガラリと変わり、グランドスタンドが改装になったため、その裏手に駐車し受け付けを済ませ、VIPスイートと呼ばれるガラス張りの部屋で待機します。フロアの一角にはこれまでの関連グッズなどの展示があり、この15年を振り返り、懐かしささえ感じられるコーナーもありました。全国各地から年に1度この地に集まるということで、再会を喜び合う姿があちこちで見受けられます。

いよいよ開会です。実はクラブ内ではフィエスタ開催前から「今年でフィエスタは終わってしまう」という噂がありました。事実、開会式の中で特別講師の黒澤元治氏もそのことに触れ、「噂もあるようですが、来年もやりますよ」とアナウンスされた時は、「やはり噂は本当にあったのだ」とその事実を確認したことによる寂しさと、「無くならないんだ」という安堵感の混じった微妙な感覚を覚えながら会の進行を見守っていました。会場から拍手が起きたのは言うまでもありません。快晴とは言えない肌寒い曇り空の下のグランドスタンド、参加の皆さんはどのように感じておられたのでしょうか。

開会式・ブリーフィングのあとは再びVIPルームに戻り、昼食の弁当です。箱がりっぱな割りに、中味はこぢんまり。上品ですが、私はゴミのことを考えてしまいました。各テーブルでは早速、午後からスタートする走行メニューの確認や見学順序の相談で華が咲いています。今年もゆったりとスタートしました。

私はゲスト4人分の同乗走行を申し込んでいたので、早速2名分を消化します。東コースにおいて、普段自分がドライブしている車と同じ車とは思えないくらいにプロのドライバーが、そのポテンシャルを十分に引き出してくれるテクニックを助手席で堪能できる人気メニューです。西コースではテクニカル走行が平行して行われています。また今年は南コースの走行もありました。今年はオープニングパレードもなく、また気温も低めであったためか、いきなりの走行メニューではタイヤも十分に温まるまでに時間を要し、ちょっと「慌てた」ドライバーも多かったのではと思いました。

フルコースを使ったスポーツ走行、交通教育センターでのジムカーナも好評です。ピットではレースで活躍した歴代のモデルや初号車が展示されています。各自の選んだプログラムにより、暗くなる夕刻まで各自のペースで楽しみます。

ここ数年は土曜日だけ、あるいは日曜日だけといった「ワンデー」のコースも設定され、気軽に楽しめるためか参加者も多いようです。ただ、このコースでは盛りだくさんの趣向を凝らしたあの豪華で楽しい夜のディナーパーティーには参加できないのです。

今年はグランプリホール(サフラン)からフラワープラザのサクラホールに会場を移しての開催でした。

上原さんが中締めのご挨拶をされる時、少しお時間をいただくことができ、これまでの15年間の関係者の皆さんに感謝の意を表すということで、NSXの絵を贈呈しました。2005年の春頃、おぼろげながら「今年は誕生15周年なので何か記念になることをやりたい」と思うようになり、クラブ員と話している中で、「上原さんの車の絵を贈ろう」「フィエスタの閉会式で贈呈しよう」という案が出ました。早速、クラブで一括購入したシルクスクリーンの原画を描かれた小川さんに趣旨をお話し、協力いただけることになりました。この時に依頼した絵のイメージは「上原さんのNSXと、上原さんと宗一郎さんの似顔絵、それに夢という字」でした。小川さんからは「車の絵は得意だか、人物や文字は書いたことがない」との返事でした。小川さんの意図を汲んで、「車と上原さんだけにして、構図はお任せします」と製作をお願いしました。日ごろお付き合いのあるクラブYOKOHAMAさんに絵の贈呈の趣旨をお話しましたところ、ご理解いただきました。フィエスタ内で時間をいただくことについては、前年のフィエスタ終了時に紹介された担当の方に相談していました。

そうこうするうちに、7月12日「生産終了」のニュースが流れます。私自身はこの絵を贈呈する意味がより強まったと思いました。小川さんにこのニュースを伝えると「精一杯書きます」と涙が出るほどの返事をいただきました。そのことは下絵を見た時に既にはっきりわかりました。

フィエスタの開催が近づく9月下旬、小川さんから完成した絵が届きました。と同日、額業者と打ち合わせ、製作日数に余裕がないため即座に引き取られていきました。額に収まった絵はフィエスタ会場に直送されたので、完成品を見たのは、フィエスタのパーティー開始20分前です。あの除幕前に見たのは、私と窓口をしてくれたクラブ員とスタッフだけでした。キーワードは「サプライズ」だったのです。「上原さんを驚かせよう」。

タイトルは「Thank you for the dream – 夢をありかどう」。発売当初の有名なフレーズ「Our dreams come true」、この15年の間に数多くの夢をもらったことについてNSXに携わったすべてのホンダ関係者の方々に感謝したいとの気持ちを伝えたかったのです。会場にいた多くのクラブ員は、本田宗一郎さんが書かれたあの「夢」のピンバッジを胸に付けていました。

パーティー終了後も多くのオーナーの皆さんが、ホンダ関係者の方々と共に絵を囲み、写真撮影されていました。

第二日の日曜日は時折雨が落ちてくるあいにくの天候になってきました。この日も朝早くから走行メニューをこなしているオーナーがいて、心地よいエンジン音が耳に届きます。

昨夜のパーティーで参加を知ったのですが、スイスホンダの元社長、クロード・サージュ氏、アメリカの著名なモータージャーナリストのジョン・ラム氏もピットにいます。フルコースの時間帯に走行したり、取材したりと忙しくされていました。

バイキングスタイルの昼食を終えて、記念撮影、そして本当のファイナルになるのではと危惧していたパレードランで幕を閉じました。皆が来年の再会を誓って帰途についたことは言うまでもありません。

Run with, Run for.

富吉啓文(神奈川県)

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